大野俊亮
つなぐサポート主任アドバイザー

1983年12月1日生まれ

新潟県新潟市(旧巻町)出身

俳優としても様々なキャリアを持つ。そこで培った経験やコミュニケーションを活かし、人と人をつなげるのが好きなマメ男子。2019年11月22日いい夫婦の日に結婚。

特技:バスケットボール、背骨調律(資格あり)、コミュニケーション、人と人をつなぐ事、直感

趣味:飲み会、ラーメン屋巡り

婚活をする方に伝えたい私の経験

婚活アドバイザーの大野俊亮さんから、ご自身の経験や結婚について語ってもらいました。

--まず、婚活アドバイザーとはどの様なお仕事でしょうか?大野さんのお仕事内容を教えて下さい。

私の仕事は、真剣に婚活をしたい方に対して成婚するためにはどうしたら良いかをご本人様と一緒に考え、二人三脚で成婚に向けて様々なサポートを行う事です。


私は2020年の1月から従事しており、 SNSやYouTube、ネットラジオでも婚活の情報を発信しています。

同業の方から見たら、異色のアドバイザーかもしれません(笑)。

--異色のアドバイザーですか(笑)。では、大野さんが婚活アドバイザーにたどり着くまでの経緯を教えてください。

そうですね…

過去の経験が今に活かされていると考えると、かなりさかのぼりますが、まず子供の頃のお話しをさせてください。

生まれは新潟県新潟市(旧巻町)で、とにかく小さい頃から人前に出たがりで目立つ事が好きで、モテたがりでした(笑)。
ちなみに小学生の時は児童会副会長、中学生の時は生徒会経理局長をやり、高校では体育祭で応援団としてダンスを踊ったりしていました。

ただ私は1人っ子だったためか、集団行動があまり得意ではなく、それを克服するために小学校5年生からバスケットボールをやっていました。
でも実際のところは、母親から「バスケやるとモテるよ」と言われたからです(笑)。

大学は、東洋大学の社会学部メディアコミュニケーション学科に入りました。
そこは基本的にテレビの裏方の事などを学ぶ学科で、ADとかアナウンサー、テレビ制作に就くような人が来ていました。


ちなみに志望動機は、テレビ関係の仕事が単純にかっこいいなと思ったからです(笑)

--出たがりですね(笑)。クラスに一人はいましたよ!想像できます!大学までも『モテたい』で決めた感じですね。

一同笑い


まぁこれは原動力みたいなものなので、まだ続きます(笑)。

大学1年生の夏頃なんですが、友達が芸能事務所にスカウトされたんです。
友達から面接についてきてと言われ、ついて行ったらなんと私も勧誘されたんです!

なので、そのままその芸能事務所に入っちゃいました(笑)。
これも単純に、テレビに出られたらカッコいいなって気持ちですね(笑)。

しかしそこで半年間くらい「芝居」というものを学び、実際に人前でやっているうちにのめり込んでしまいました。
なので大学を卒業しても就職せず、アルバイトをしながら俳優を目指すというまさかの道に進む事にしたんです。

--考えが一貫していて面白いですね!では、色々とアルバイトをしながら俳優を続けていたのでしょうか?

そうですね。居酒屋、バー、テレアポ、警備員などなど。

とにかく色々なアルバイトを経験し、色々な人と出会ってきました。

ちなみに前職は、俳優兼エステサロンの社員として背骨調律の仕事をしていました。

背骨調律というのは、簡単に言うと背骨のメンテンナスといった感じで、血行が良くなったり、肩こりや腰痛が軽減されて呼吸がしやすくなるんです。

あの時は、俳優とは別に何か手に職をつけたいと思っていたので、本当に色々な勉強をさせていただきました。
後、女性の職場だったので女性とのコミュニケーションも色々と勉強させていただきました。

--様々な経験をされてきたんですね。その中で俳優を続けてきた訳ですが、続けられた理由や大事にしてきた事は何ですか?

そうですね、やはり続けられた理由としては、芝居が単純に楽しいからです。

そして、芝居をしていると生きている実感があるんです。

例えば、舞台なんて本番一発勝負なので、アドレナリンが大量に分泌されるんです。
なので、終わった後の達成感は本当にクセになすね(笑)。

あと大事にしてきた事というか、今でもずっと心に留めている事はあります。
それは、私の恩師でもある美輪明宏さんから感じた、人間性を大切にするという事です。
相手の事をよく見る、よく感じるという事でもあります。

私は『黒蜥蜴』『愛の讃歌』『毛皮のマリー』『葵上・卒塔婆小町』など、美輪さんが演出された舞台に2013年より7年連続で出演させていただいたのですが、自分が目立ちたいとか、モテたいという「自分のため」の気持ちから、とにかく美輪さんの舞台を成功させたいという「相手のため」という気持ちに変化していったことも、気づかせてくれたことです。

--素晴らしい出会いで、子供の頃からの考えが変わっていったんですね。ちなみに俳優として、一番苦労された事は何でしょうか?

全部です!(笑)と言ったらそれまでですが、実は私は元々耳が悪いんですよ。


中学生の時からおかしいなとは思っていたのですが、20歳の頃に友達から指摘をされたので検査をしました。
そしたら他の人の半分程度しか聞こえていないとわかって…。

そのせいで正しい発音がわかっていなかったんでしょうね、滑舌については本当によく注意されました。
それに地元のなまりも抜け切れていなかったので、その点も苦労しました。

俳優は言葉を届ける事が仕事でもあるので、とにかく色々な方から正しい発音を教えてもらい、何とか改善しようとしました。
しかし私の耳が悪い分、教えてもらっても何が正しい発音なのかわからず、あまりにも改善できなくてしまいにはノイローゼになり、会話する事自体怖くなってしまったんです。

ちなみに、ある音声収録の現場では、発音や滑舌が悪いからと途中で返された事もあります。
なので、未だに滑舌や発音が悪いと思われているんじゃないかと恐怖心を抱く事はありますね。

だから台本をもらった時は、とにかく1文字でも発音が間違っていると怖いので、録音して何度も何度も確認していました。

更には、相手のセリフが聞こえなかった時の事を想定し、相手のセリフまで完璧に覚えていたので、正直毎回苦しかったです(笑)。

--耳が悪いというハンデを持ちながらも、苦労をして頑張っていたんですね

「苦労」という言葉は畏れ多い気もしますが、実際そうですね。


俳優は一見華やかでカッコいいと思われがちです。
私も最初はそう思ってました。
しかし現実は全く違い、ずっと挫けたり、迷ったりして苦しかった思い出が多いですね。

それと両親からは、30歳までにある程度の結果が出ていなかったら新潟に帰って来いと言われていたので、20代は本当に切羽詰まっていました。
しかし何の運命か、29歳の時に先ほどお話した美輪さんの舞台が決まったんです。

こんな大御所の方と大舞台に出られるなんてマジで奇跡だったので、とにかくこの奇跡をものにしようと死に物狂いで頑張りました(笑)。

その甲斐もあってなのか、その翌年の30歳の時、美輪さんの相手役として抜擢して頂いたんです。
そして、なんと地元新潟でもその舞台は行われ、約束の30歳の時に違った形で地元に帰って来たんです(笑)。

それからは、「俳優としてまだ生かされている」という事を常に思い、もっと精進して自分のハンデを乗り越えて行こうと決めました。
芝居の勉強として、滑舌や発音を徹底的に鍛えるために個人ボイトレに通ったり、色々な人に会う事でコミュニケーション力も鍛えたりしました。

更に、町おこしの一環として地元新潟をお芝居で元気にしたいと思い、クラウドファンディングを立ち上げました。
その結果、皆様のおかげで無事に達成でき、お芝居の公演をプロデュースする事ができました。

この経験によって、いつも芝居を作って下さっている方々の気持ちを学んだと同時に、誰かの力になりたいという気持ちがどんどん強くなってきました。
美輪さんの舞台も、気づけば7年連続で出演させて頂いていたので、これからもっといい方向に進めると思っていました。


しかし耳は悪くなる一方で、芝居に支障をきたしそうでした。
なので、思い切って補聴器をつける事にしたんです。

最初は抵抗や不安はありましたが、周りに見えない補聴器なら大丈夫だろうと思いました。
すると、これが吉と出て、自分の声がハッキリと聞こえる様になったんです。

ボイトレも更にうまく行き、そのおかげで発音にもだんだんと自信がついてきました。
補聴器をつけて大正解だった!と思いながら仕事をしていたんです。

しかし…

ある現場で監督の指示が聞こえず、要求された事が何もできなかったんです。
共演者の声も聞こえなかったため、その場で君はもういいと言われてしまいました。
もしちゃんと聞こえていたら…と悔しく思いました。

この事をきっかけに、補聴器をつけても聞こえない音があるという事がわかったんです。
それと同時に苦しんだ思い出が蘇り、聞こえない中で頑張ってきた自分の中にある何かの火が消えてしまい、俳優としての第一線はもう退こうと決意したんです。

--光が差してきた中で辛い挫折だったと思うのですが、退くという決断に至るにはかなり悩んだと思います。どのように這い上がる事ができたのでしょうか?

とにかく悩みました。

16年以上やってきましたから。
本当にここで退いてもいいのか?これは逃げなんじゃないのか?と自問自答を繰り返しました。

しかしある日思ったんです。
今まで自分のためにしてきた事は、誰かに対しても同じことができるんじゃないかと。

俳優の時は、ベストパフォーマンスをするために全てを自分に費やしてきました。
自分を魅力的にするためのセルフプロデュースを常に考えていたんです。
それがお客様の幸せに繋がると思っていたからです。

それを今度は、人の幸せをプロデュースしてみたいと思ったんです。

「俳優時代に自己の成長のために培ったコミュニケーション力や自分のアピール力」「補聴器をつけた事でわかる、ハンデや弱みがある人の気持ち」「マメで世話好きな性格」、それらが活かされる職業が「婚活アドバイザー」だったんです。

それで、もう一度頑張れると思いました。

--挫折を転機に変えられたんですね。今までの経験がムダではなかったと。自分のためにやってきた事を、人のために還元したいと思えたのは素晴らしいと思います。

カッコよく言えばそうですね(笑)。

なので、そのきっかけと新たな生きがいを与えて下さった弊社代表の吉川さんには本当に感謝しています。
また、私が苦しかった時に出会い、ずっと支えてくれている妻にも感謝しています。
私一人では乗り越えられませんでした。

きっと私の経験は、皆様の励みになると思います。
大変な事があっても、こうして結婚できているのですから。

--美輪さんの時もそうですが、良いタイミングで出会えてますよね。今後はどうなっていきたいですか?

夢は、成婚された方の結婚式に呼ばれる事です(笑)!
何をすれば喜んでもらえるのかという気持ちを大切に、会員様のサポートをして幸せをプロデュースしていきたいです。

後、ちょっと大きい話なんですが、成婚率を上げて日本に貢献したいという思いもあります。
成婚率が上がると出生率も上がると思います。
そうする事で、「人口減少の問題」を食い止められるのではないかと思ってます。

今後少子化が進めば、日本経済も縮小してしまい、後世に残す日本が住みにくい国になってしまう恐れがあります。
私がやっているこの仕事が、国への恩返しになればと思っています。

--大きな夢ですね!それに向けて今はどんな事をされているのでしょうか?

とにかく会員様とコミュニケーションをとる事です。

性格を把握したり、婚活をしていく上で何を求めているかなどをしっかり聞くようにして信頼関係を築いています。

また、お見合いのロールプレイングをして、実際のお見合いの時にどうすれば相手により知ってもらえるのかなどをお伝えしています。
とにかく自分の経験や特技をフル活用しています!

--では最後に、婚活をされている方にメッセージをお願いします。

婚活は自分次第です。

やるもやらないも自分自身が決める事です。
しかし、私もついています。

もしうまくいかなくても、すぐにあきらめないでください。
そんな時は、なぜうまくいかないのか?なぜ結婚したいのか?と、自分自身を見つめ、自己分析をしてみてください。

それが成長に繋がり、結婚に繋がります。
そして結婚が更に成長の場となり、その後の人生が幸せになると私は確信しています。

大丈夫です。
きっと、うまくいきます!
せっかくの人生ですからポシティブに行きましょう!

あなたを全力でサポートさせていただきます。
一緒に頑張りましょう!

取材・文:三宅克幸
俳優、インストラクター、ライター
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